今回はコネクトオークションに付いて書いてみたいと思います。
僕がコネクトを始めようと思ったきっかけはビジネス的側面ともう一つは言葉で書くと格好良いですが文化的側面の2つの側面がありました。
まずビジネス的側面に付いて書きます。前記のようにヴィンテージ家具でのビジネスが厳しいと感じていた時に何か良い方法はないかと模索していました。他のビジネスに切り替える事も考えたのですが、僕にはデザイン家具で生活する方法しかありませんでした。ちょうどその頃、とあるきっかけでサザビーズより連絡がありました。そして
タピオウィルカラのテーブルを出品する事になりました。(初回は売れずに翌年のsaleで落札されました。)この頃からオークションで購入する側から出品する側に自分がなっていきました。時はまさにアートやデザインがガンガンと値上がりしている時期。マークニューソンの
ロッキードラウンジが1億円を超えたりしました。何を出しても売れる。そんなムードがありました。島国日本の情報を欧米の方はあまり知りません。現行品の
エンブリオチェアーやウィッカーチェアーが100万円を超える事もありました。僕が驚いたのは2007年のフィリップスのオークションでイデーで取り扱いのある57万円の
マークニューソンのグッピーランプが約500万円になったことです。
2006年の10月に僕はフィリップスに出品しようと大量の家具を送ったのですが、ローズウッドのテーブルが現地で通関できずに返送されるという事がありました。その時日本でもオークションハウスがあればと感じました。これがコネクトを作るきっかけになりました。そして出品するにつれて海外のオークションハウスから何で日本にはデザインを扱うオークションハウスがないんだと何度も言われた事がコネクトをつくるきっかけになりました。
ビジネスはこのような感じです。出品者、購入者からの手数料での収益。これは単純計算で約25%。例えば1億円の落札金額があれば2500万円が利益ということです。ここから経費を引いた数字が純利益となるのですが、その経費が当初はあまり掛からないと読んでいました。アメリカの
wright20が僕らのモデルなのですが、ここのスタッフはその時10人未満。しかもシカゴの町外れで運営しています。wright20を目標に僕らは年4回のオークションを開催する事を目標としました。計算すると結構な利益になります。ちなみにスタッフは僕を入れて3人だけでした。
設立するにあたって僕は
ランドスケーププロダクツのNさんに相談しました。そしてNさんの提言で
Yさんに話を持ちかけました。そしてNさんの紹介で出資をしてくださる会社を紹介されました。この時は不動産バブルもあり上り調子のその会社は豪快に出資してくれました。
長期的なビジネスモデルとして出品物の写真をきちんと撮ってアーカイブ化することも僕らの計画にありました。写真を貸し出したり編集して本を制作しようなどと考えていました。その為、カタログは手を抜きたくないと提案しました。ビジュアルブック的な売り上げも期待しました。そこで初回のカタログには800万円も掛けてしまいました。
GRVにロゴと表紙をお願いしました。
僕らの考えとしてすごく沢山のモダン家具が日本中に溢れていると思っていました。それを巡回させる中継地点の役割をしようと考えていました。ヤフーオークションなどでは売る事のできない高額なヴィンテージの流通を考えていました。
そして文化的な側面としてモダン家具の価値の基準を作り、不要になった場合はオークションに出す事によって価値を保全するという役割。お金持ちの方がフェラーリなどを購入するのと同じで購入した金額がある程度は保持出来るという仕組みです。無駄な物の大量生産、大量消費への抵抗的な意味がありました。
そして良い物を残して行くという仕組みを作ることでした。最終目標はヴィンテージ住宅でした。日本では土地の価格だけでの評価です。そこに建物自体の評価をきちんとして良い物は後世に受け継いで行くという役目ができればと思っていました。
それと日本の良い物が海外に流失して行く事を防ぐという役割。美術界も浮世絵などを含めてよい物はすべて海外に流失してしまっています。デザインという分野はマークニューソンや倉俣さんの作品のように日本デザインが海外で高値で取引されている事を分かっていない人がすごく多いようでした。その海外で高値で取引されている日本デザインを自国のオークションで発信していく、そして日本のお金持ちが買い切って価値を保全し日本に残すというシステムが理想としてありました。
すごく理想は高いと自分たちも思ったのですが、ここで消費社会に対する僕らなりの構造改革を提案したいと思ったからです。そしてグローバルな視点でもう一度デザインを見直す事も必要だと思っていました。
そして第一回が原宿クエストホールで開催されました。出品物は初回という事もありいろいろな分野の商品を集めました。7割がスタッフの私物、3割が知人からの出品物でした。エスティメートを付けるにあたり僕らは海外のオークションの価格を基準にしました。ここで業者からクレームがでました。そんな安い価格で売らないでくれとの事です。しかし、ここですべてリクエスト聞いていたら成り立たなくなります。ぐっとこらえて僕らの理想を伝えて出品してもらいました。今でも準備のときの事を鮮明に覚えています。僕の小さな倉庫での撮影、突貫工事のようなキャプション作り。それと平行して規約等の制作。ebayのライブオークションへの登録等すごく忙しかった事を覚えています。すべてスタッフが一生懸命頑張ってくれたおかげで何とか開催に漕ぎ着けました。
盛大なレセプションが開催されたくさんの方が来てくれました。そしてオークション当日。司会は有名芸能人。忙しく少しの時間しか打ち合わせが持てずにうまく進行を伝える事ができませんでした。結果は散々。進行も悪いし、3割以下の落札率。すべてのロットが終わった瞬間に僕はなんとも言い表せないような複雑な気持ちになりました。当時のwrightを知る方から最初はこんなもんだよと励まされた事が唯一の喜びでした。0だった事を1にする事の達成感と難しさを感じた瞬間でもありました。課題は2回目のオークションでと心に誓って会場を後にしました。
そして僕らの再スタートです。2回目のオークションに向けて出品物を集めることにしました。ここで致命的な問題が発生します。モノが集まりません。何とか一人の方からの大量出品があり開催する事が出来るようになりました。そして海外からの出品があったりと何とか形になってきました。目標のエスティメート合計1億円に近づいたので開催にゴーを出しました。
しかし、出資の会社からなかなか運営費が回ってきません。初回の売り上げと僕の出品物の売り上げで経費を払う事でなんとか2回目開催まで持ちこたえました。3月末からプレヴュー、4月にオークションというスケジュールです。もちろんカタログも自己資金全額を投資して制作しました。やはり結果は3割弱の落札率。
何がいけないのか明確でした。まず、認知度。コレクターの間では知れ渡ったオークションなのですが一般の人をまったく巻き込む事ができませんでした。ここでも僕はコレクター目線だったのでしょう。そして僕がこれはマズいと思ったのがそのコレクターの数の少なさです。wright20のスタッフが視察にやってきたので正直に聞いたら、wrigthの顧客のほとんどがアメリカ国内、日本からの顧客はたった10人程との事。僕はもっとたくさんのコレクターがいるのだと思っていたのですから完全に見当違いでした。
出品物も出て来ない、購入者もいないという追い込まれた状況に僕らは置かれました。更に出資がまったく回って来ない。そんな中、博報堂から東京ミッドタウンで行われる秋のデザインイベントへの誘いを受けました。これはデザインを広く普及させるチャンスと思い快諾しました。交渉ごとになれていない僕はどんどん彼らのペースに呑まれ、日本デザインのみで開催というとても難しいテーマを与えられました。海外からの注目はあると思いましたが、日本国内では受けないだろうなと思っていました。出品物はスタッフのがんばりが功を奏しどんどんと集まりました。しかし、大先生と呼ばれる方から直接出品してもらう手前、売れそうもない物も断る事ができずにどんどんと商品が溜まって行きました。もちろんモノが増えればコストも増大しいきます。狭い倉庫で大変な撮影、暑い中での作業が今も思い出されます。
僕はこの時にミッドタウンという開かれた場所で展示をして、広く一般の方へ認知させる事を一つの目的としました。メイン会場の展示物は分かりやすくキャッチーな視点で選びました。そして展示物に自由に触れてよいという事にしました。元来オークションのプレヴューはコンディションチェックも兼ねて展示物に触れる事ができます。それを考えてすべての椅子には座れるという事をうたいました。倉俣さんの椅子にも岡本太郎の椅子にも座れる。噂が噂をよんで沢山の来場者がありました。子供やお年寄りが感心をもってくれた事も収穫でした。
開催前の時点で結果はおそらく付いて来ないという事は実は分かっていました。何故かというと金融ショック等と、それに伴う円高が急速に進んだことで海外からの購入者が見込まれないと思ったからです。前記のように日本デザインは海外からのビッドが頼りです。その海外からのビットが期待出来ないとなると結果は非常に厳しい物になると思っていました。
やはり結果は散々。今までで最悪の結果です。そして僕の個人資本ではこれ以上運営は不可能だと判断しました。
でも完全に消滅した訳では有りません。今はあくまでも休止中。もっともっと勉強していつか復活させると自分に誓っています。僕は経営者としてはおそらく自分の理想で行動してしまうので失格でしょう。だから誰かの下で影になってデザインオークションビジネスを運営する事も良いと思っています。
その為にまずデザイン家具を一般に普及させる事から始めようと思って今は活動しています。理想はhhstyleのような店がメルセデスのディーラーと同じくらい全国に有る事。そんな状況が理想です。そして底辺を広げ、多くの方にモダン家具に興味をもってもらい、その中からヴィンテージやコレクターアイテム等を収集する方が育ち、ヴィンテージ家具のマーケットも確立することが理想です。
そして普及活動に重要な役目はやはりきちんとしたデザインの展示会が多く開催される事です。2002年のイームズ展には東京だけで9万人の方が来場しました。この数字は異例ですが、どんどんと意味の有る展示会が開催されるべきです。MOMAやヴィトラ等のようなデザインを主に扱うミュージアムは世界中に沢山有ります。そんなミュージアムがデザインの先端である東京にも必要です。
まだまだ沢山の時間は掛かると思いますが、なんとかもう一度コネクトが開催出来る日が来るように僕はいろいろな物や事を吸収して進化して行きたいと思います。